2012年度からの若葉会ソーラーカープロジェクトについて
               
              
              50周年事業の一環として始まったソーラーカープロジェクト
              若葉会自体が地元大正区の、主に製造業が中心となった親睦会です
              要するに今まで継続された事業など、したこともなく
              当時の50周年事業の委員長の熱い想いから始まったわけですが
              当然のごとく、学校でもない、会社のクラブ的位置づけでもない
              まして中小零細企業の社長さんの集まりが、(基本的には人の言うことを聞かない)
              普段はゴルフ、旅行、飲み会などしか開催していない当会が、
              堂々と半ば無謀にも、鈴鹿のソーラーカーレースに挑んできました


              
              当初からなんとか5年は続けようと皆さんに納得してもらったわけですが
              実際には3年目ぐらいから1人欠け2人欠け3人欠け、とうとう6年目に突入した
              2012年度には20名ほどの実行メンバーがなんと・・・・3名にまで減ってしまいました

              普通、会というのは会員のためにあるもの
              ソーラーカープロジェクトに参加しているメンバーは半数はおろか
              全体の10%にしかなりません、そのような事業を会として継続していく必要は無いというのが結論です



              
              2010年度ぐらいから(即ち4年目)暗雲が立ちこみ始め、
              2007年度から「おっ、おもしろうそうやん」と外部メンバーの
              自動車整備工場経営者である○内氏が、フルタイムで参加してくれることで
              なんとか参戦を維持できたのも事実であります。

              また、ソーラーカー事業を推してくれていた当会会長が任期切れにて
              会長職を次期会長に譲ったのも、
              ソーラーカー事業を継続することが困難になった原因の一つです

              もちろん若葉会を離れ、全くのプライベートチームでの継続も検討しましたが
              声高く叫んでも、やりたいメンバーは、たった3名、自分のあまりの無力さ、
              そしてリーダーシップの無さを痛感いたしました。
              当然資金繰りにも困ることが目に見えています
              
              そこで2009年度から水面下で動いていたカタチ
              同じ大阪市大正区の泉尾工業高校自動車部、彼らには技術面でかなりの援助をしてきました
              また、彼らは学校の限られた予算の中で、新車を作るのはほぼ絶望的!!
              鈴鹿には毎回出場しているがモーターすらミツバ製ではない、バッテリーは6年モノ
              やっとのことで2011年度に26位に入りましたが、いつも順位は下から数えたほうが
              早いような状況でした

              モチロン学生が手作りで車体を製作し、出場することこそ意義があるのですが
              もし予算と時間があるなら、車体を一新し、好成績を残したいのは、当たり前のことです


              
              そこで一大決心をし、2012年6月に正式に泉尾工業高校自動車部に若葉号を
              無償譲渡することが決まりました。
              
              無償譲渡を受けると、総監督がオマケに付いてきます(全員に当たります)
              学校として参戦するのですから、当然総監督は顧問の先生です
              顧問の先生は総監督歴5年のスーパーアドバイザーを
              労せずして手に入れることになります(笑)

              
              しかし苦難はこれからでした、長らく自動車部の顧問をされていた先生は
              この年不運にも転勤、新しく顧問になった先生はまだ事情を飲み込めておらず
              良く考えたら当たり前のことですが、今まで完走が目標、頑張っても26位の成績なのに
              いきなり優勝争いに食い込むことの出来る車体をもらっても
              戸惑うのは当たり前のことです。
              それに現在の少子化も関係して、なんと機械科は1クラス
              自動車部に到っては、部員が当初は4名・・・
              まぁこれはなんとか後に6名になるのですが、以前の自動車部の盛況を思えば
              部員の少なさには、唖然としました   
              

             
              オマケに若葉会元総監督は、名うての「勝つこと」に執念を燃やす男
              勝つためには手段を選ばず、あらゆるコネクションと、金と技術を投入してきます
              さぞ顧問の先生はやりにくかったことでしょう。

              元総監督(現アドバイザー)も立場が非常に微妙で、問題提起しても決定権が全くありません
              これは後ほど知ることになるのですが、公立高校の場合、購入を考えても
              まずは2件以上の見積もりを必要とし、恐らくは業者との癒着を恐れるがあまり
              購入決定権が現場には全く無い!!
              確かに煙すら立たせない姿勢は良いのですが、良い悪い、高い安いを
              事務方に決定されたのではたまったもんではありません
              値段だけ重視し、質、納期は全く無視されています、何故高いのか?
              何故購入する必要があるのか?文書で出せといわれても
              行ってる間にレースの日にちはやってきます、時間無いやん(怒)
              先生方も、がんじがらめの規則の中で苦労していました
              現アドバイザーも仕方なく私財投入、コネクションを用い他チームから情報を仕入れたりしていました。
 


              
              そのうち鈴鹿が近づくにすれ、何回も話し合い、メールでのやり取りをした結果
              アドバイザーの熱い想い!!、そして何より生徒に成功体験を味合わせてやりたい
              この気持ちは先生も同じです、やる気の無い生徒が、ひょんなことから心のトリガーを開き
              大きく成長するのは正に思春期でしか、あり得ません、この想いは先生も同じです



              
              お互いが歩み寄り、ドライバーは若葉会から1名、泉尾工業高校から1名の折衷案を取り入れ
              なんとか車体を高校生でも扱えるようにしたのは良かったのですがドライバー予定者の体重を聞いて
              またまた驚愕!!「え?53kgしかないの?」困ったことです、若葉会ドライバーは77kg
              ハッキリ言って重いです、鈴鹿レギュレーションでは誰でも75kg、装備重量を2kgを加味しますと
              20kgのウエイトを搭載しなければ、高校生ドライバーは乗車出来ないことになります
              いやまぁ20kgでも良いのですよ、問題は若葉会ドライバーです、ウエイト脱着は即違反となります
              単純に若葉会ドライバーは97kgの超ヘビー級で乗車しなければなりません
              当然のことながら減量命令が出ることになりました
         
                

              続く